2009年7月15日水曜日

知ってるようで知らない神道、その7

こんにちわ、s.a.iです

早くも第7回。ちゃんと書いてるなぁ…おいらw

では、今日も書いていきますかw

では、前回の続きからです。創生神話の中で、日本を創生した神は『創生三柱の神々』といわれています。その子孫に『伊弉諾尊』(いざなぎのみこと)、『伊弉冉尊』(いざなみのみこと)がいて、彼らの子供が天照大神であるという処まで話しました。
天照大神の兄弟には、月読尊(つくよみのみこと)、素戔鳴尊(すさのおのみこと)がいます。彼ら兄弟神の父神である『伊弉諾尊』(いざなぎのみこと)は、彼らに天(太陽)、夜(月)、海原を守護するようにそれぞれの神に託します。しかし、素戔鳴尊は海の波音があまりに騒がしいとこの仕事を嫌がります。
この言い分に怒った伊弉諾尊は、素戔鳴尊を天上界から追放します。追放されたことを不服に思う素戔鳴尊は、天照大神がいる高天原に赴きますが、ここでも数々の乱暴を働いてしまいます。その為、心を痛めた天照大神は天の岩戸に籠ってしまい、地上は暗闇に支配された世界になったとされています。これが日蝕だといいます。素戔鳴尊は、これにより高天原も追放されてしまい、地上へと落とされるのです。西欧でいう処の堕天使みたいですね^^;
ですが、ここからが日本神話の独自性。素戔鳴尊は、地上に落とされたことで自分の行いを反省し、自分の穢れを祓う禊祓(みそぎはらえ)をします。これによって、穢れを祓った素戔鳴尊は善き神へと戻り出雲の国へとおもむきます。出雲の国では、その時八岐大蛇(ヤマタノオロチ)によって非常に困っていました。素戔鳴尊は、8つの酒樽を使いオロチを酔わせてぐったりした処で倒すという作戦でオロチを退治します。その時に生贄にされていた奇稲田姫(くしいなだひめ)と結ばれて、出雲の国を指導していったといいます。この二人の間に生まれた子供が大国主命であるとされました。

天津神と国津神の違いはここです。天照大神を始めとする高天原にいる神を天津神といい、一度穢れを受けて、禊祓いし再度神々の世界へと戻った素戔鳴尊を始めとする神々を国津神と分類し、国津神の子孫であるという地方神よりも中央の神の方が上であるとされたのです。

次回は、穢れと禊の話からしようと思います。
今回はここまでw

4 件のコメント:

  1. いよいよ、誰でも知ってる神話の場面が登場したねw

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  2. 桜子君>
    えぇ、やっとここまで話できましたw

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  3. かなすわですね、わかります

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  4. あず>
    地霊殿ネタじゃないぉwww
    ってか、他の人がワカランだろうがwww

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