2009年7月13日月曜日

知ってるようで知らない神道、その6

おはようございます、週末が明けてまたまた書き始めてます。
s.a.iです。

前回の続きです。
神武天皇は、如何にして天照大神(あまてらすおおみかみ)の存在を世間に広めたのでしょうか?
という処からです。

古代日本では、集落毎に祭っている神様がいました。その神様のことを大国主命(おおくにぬしのみこと)といい、生前にその集落を支配していた指導者が死後に祖霊信仰によって祭られた神様です。この大国主命は各地においていろいろと呼び方が変わっています。それは、『古事記』や『日本書紀』にて確認されています。『古事記』によれば、大穴牟遅神(おおあなむじのかみ)、葦原色許男神(あしはらのしこおのかみ)、八千矛神(やちほこのかみ)、宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)などと呼ばれ、『日本書紀』では、大物主命(おおものぬしのみこと)、国作大己貴命(くにつくりのおおあなむちのみこと)、葦原魂男(あしはらのしこお)等々という呼び方が確認されています。
この各地の神様を信仰対象とする集落を支配、統治するためには、より上位の神様の存在が必要不可欠だった。そのために生まれたのが天照大神であるといいます。そして、各地においてこのことを定着させるために生まれたのが、日本神話の数々です。日本神話は、南方(フィリピンやインドネシア、南太平洋諸島)の神話と共通している部分が多くみられます。各地の神話を取り込んで独自に発展した話を作り上げ広めたことで、庶民に天照大神の存在を定着させて、皇孫である神武天皇が支配する権利を有することを認めさせてきたわけです。
では、元々信仰対象であった大国主命はどうなったのでしょう…?
もちろん、神話の中に盛り込まれました。それは、どのような位置づけをされたのでしょう…?

『日本書紀』によれば、創生神話の時代、日ノ本を創生したのは、創生三柱の神(柱とは、神様を数える時の単位)であり、天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)、可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこじのみこと)、国常立尊(くにのとこたちのみこと)の三柱を表します。そのなかの国常立尊から七代を神世七代といい、その七代目に有名な『伊弉諾尊』(いざなぎのみこと)、『伊弉冉尊』(いざなみのみこと)がきます。この二柱の神は生殖を司る神であり、ここから多くの命が生まれたとされています。
その中の長兄が天照大神であり、多くの兄弟の頂点にたつとされたのです。兄弟の中に、月読尊(つくよみのみこと)、素戔鳴尊(すさのおのみこと)などが置かれました。そして、素戔鳴尊と奇稲田姫(くしいなだひめ)との間に生まれた神々の中に大国主命は置かれたのです。
こうして、各地の信仰よりも、中央の信仰する神は上位であるという系図ができるのです。
後に、天照大神を直系とする神々を『天津神』、大国主命などの各地にて信仰されてきた神々を『国津神』と大別するのですが、それはまだ先の話であり、そのように分類した理由はこれから書いていきます。

今回はこれまで。
それではまたw

4 件のコメント:

  1. 大国主命が、各地にいるなんて、知らなかった・・・
    でも、唐突な出現の仕方が不思議だったので、ちょっと納得かなぁ
    んで、天照大神って長兄?女じゃないの?

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  2. 桜子さま>
    どちらともいえるというのが正解。というのは、神話の世界では、天照大神の対になる神様がいないため、子神を産み落とす存在として女神であるとする説と、全能の神である日神であることから、西欧と同様男神であるという説と両説あります。『日本書紀』が書かれた時代も男性社会であった事からも、伴侶として書く必要もなかったとすれば、男神であったとしても不思議ではない事から、長兄とさせていただきました。なので、どっちであっても正解だと思いますよ^^

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  3. んまぁ、そこらへんの神様は
    夕食の残りをごっちゃ混ぜにしたごった煮のような感じだからねぇwww
    エピソード的にオリジナルのはあるのかなぁ。。。?

    ただ、神社とかで祝詞を上げるときに、
    創世三柱の御名も出てくるところを見ると、
    何気に日本を守ってくれた神様たちなんだなぁ、って思うこともしばしば。。。

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  4. せんせー>
    うん、そだねw
    (当時の事など、書物でしか分からないけど)創世神話が創り話だとしても、それを聞かされて育ってきた以上、神様の存在ってすごく身近なんだなぁって思っちゃうw

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