2009年7月9日木曜日

知ってるようで知らない神道、その5

こんばんは、s.a.iです



早くも5回目w

珍しく続けて書いてるなぁ…おいらw



えっと、前回までのおさらいですが、日本には大昔から信仰の対象とされるものがあり、それを『神道』と呼ぶということについて話をしています。神道における神様は、『八百万の神々』と呼ばれるように数え切れないほどの神様が存在し、それは自然界のあらゆるものを奉る『自然神』と、亡くなった方の霊魂を奉る『人格神』に分かれています。信仰とはいえ、宗教と異なることは、『戒律』というものがなく、時代に合わせて、その形を変えてきたという歴史があります。このような信仰があった古代日本では、『大和言葉』と呼ばれる今よりも単語数の少ない言葉を使っていて、天や海を『あま』と呼んだりと一言の意味が広い形で使われていました。

ということまでは話しました。



今回は、少し時代を進めて古代日本から、明確な支配体系ができてきた大和時代へと話を移したいと思います。

このころの日本においてもまた神道は広く根付いていました。そのような時代で各集落を統治するだけでなく、日本全体を支配、統治しようとした集団がいました。それが今に続く皇族の方々であったといいます。

そして、最初の天皇といわれる神武天皇(紀元前660年即位)やそれ以前の神話の時代から持統天皇までの歴史を綴ったものが『日本書紀』であり、現在の私たちが当時を知る唯一の書物であります。

ちなみに『古事記』も古代日本を記した歴史書であり、今の我々はこの2つの書物を調べることでしか当時を知る術はないのです。



話を戻しますが、日本書紀によると、神武天皇は支配体制を確立する為に、神道を利用しています。つまり自分が神の末裔であり、日ノ本を支配するに正統な理由があるとしています。それが、『天壌無窮の神勅』(てんちむきゅうのしんちょく)です。内容は天皇の祖先神である天照大神(あまてらすおおみかみ)の命令を受けて日本を統治したとあります。詳しく述べると、「葦原(あしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国『日本』は我が子孫が王たるべき地であるから、皇孫(すめみま)(天照大神の孫)であるお前が治め、天地が終わるまで子孫にその皇位を伝えていけ」との言葉を受けて、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が皇位を象徴する三種の神器を携えて、日向国の高千穂に降ったのである。そして、その曾孫である神武天皇が支配体系を確立したということです。



ですが、そもそも天照大神という神様が、庶民に受け入れられなければ、この説は庶民を説得できるものではありません。なぜなら、いきなり『俺様は神様の子孫だー!だからこの国は俺様のものだー!』なんて言っても、それまでの古代日本の住人を納得できるはずがありません。当然です。彼らは自分たちよりも高い能力者で、より良き方向へと導いてくれる指導者にしかついていこうとはしない民族であったからです。では、どのようにして天照大神という神様の存在を広めていったのでしょう…?

次回はそのへんから話していきます。

今回はここまで。

ではまた。

4 件のコメント:

  1. 太陽神ってのはどこでもそれなりにえらい神様だからねぇ。日照りよりも、日照不足による収穫不足の方が深刻だったろうし。。。
    あと八百万の神って、悪者の神様はあんましいないんだよねー。。。日本独特っぽいよ。。。

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  2. せんせー>
    あいw
    その通りですw
    先に述べたように、自分達よりも高い能力を上としたので、悪い上はいないんですよね~。
    でも、悪さをした上もいるんです。その辺は今後書いていきますよ、お楽しみにw

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  3. 書けるかなぁ・・・ドキドキ

    何回チャレンジしたことやら

    とりあえず、次回作も、期待してる

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  4. 桜子ちゃま>
    お楽しみにw

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