2009年7月27日月曜日

知ってるようで知らない神道、その10

こんにちわ、s.a.iです

段々と書く内容を頭の中でまとめるのが大変になってきたs.a.iさんですw

では、今日も書いていきますかね~w

今日はなに書こうかな~w
今日は武家の護神としても有名な八幡神について話しましょうかねw

八幡神は主に中世(平安後期~江戸初期にかけて)信仰されてきた神で、応神天皇を祀ったものである。後三年の役(1083~1087年)という東北地方での戦いに勝利して清和源氏を大きく発展させた源義家が、石清水八幡宮の社前で元服して『八幡太郎』と名乗ったという経緯がある。このことにあやかって八幡神は武士の棟梁である源氏の守り神とされたのが、武神として祀られるようになった経緯である。
今日、日本中の神社の社数は約12万社と言われている。その中で、八幡宮は1万4千社強といわれる。このことからも、数多くの武士達によって、必勝祈願されてきたことがわかる。

八幡信仰は元々は大分県宇佐市の宇佐八幡宮から信仰が始まった。宇佐八幡の神は元は海を守護する神だった。しかし6世紀半ばに宇佐八幡に仕える巫女が呪術的な医術を用いて信仰を集めたという。この時に使った術式は中国の道教を元にしているといわれる。
当時の大王が病気になった時は、宇佐から大和まで出向き、回復祈願をした事がたびたびあったようである。これによって王家が宇佐八幡宮を重用したことは容易に推察できる。
欽明32年(571年)宇佐神が大神比義(おおがのひぎ)という者に『我は応神天皇である』というお告げを告げたといいます。
また、奈良時代、東大寺建立の際に宇佐の巫女が朝廷に、八幡神が建立を見守りたいと告げたと言い、これによって東大寺のそばに手向山八幡宮が建てられた。
ついで、平安時代初めには、京都に近い男山に石清水八幡宮が作られたが、皇室はこれを祖神(おやがみ)及び京都の守護神とした。

八幡宮の神道は海神から始まり、道教を取り込み、奈良で仏教と融合し、後に東国の武家のさまざまな宗教的習俗が合わさって出来た複合信仰といえる。
なので、八幡信仰は、道教、仏教、東国民間信仰などが集合された独自の信仰なのです。

と、今回はここまでw

6 件のコメント:

  1. 宇佐神宮は、博多にいる時、何回か行ったよ
    明治神宮も広いけど、比較にならない広大さ・・・
    道鏡のご神託も、ここが舞台だね

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  2. 九州にはいろいろと言い伝えがあるのですよ。
    宇佐八幡以外にも、宗像とかもねw
    宗像についても書いていきますかw

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  3. そろそろ神仏習合の話を入れんときっついかもよ。
    ハチマンなんて坊主の恰好してるのもいるしw

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  4. 先生>
    うん、面白いよねwww
    ってかあと10回で全部まとめるなんてできっかな…?
    それより、終戦まで間に合うかな…?

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  5. 本編として、一応、まとめちゃえば?
    んで、あとは『追記』の形で
    書き足せばいいじゃんw

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  6. 桜子さん>
    うむぅ、まぁなんとかしますww

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