こんにちは、s.a.iです
前回の続きです。
今回は、神道が生まれた古代日本についてです。
古代日本はどんな社会だったのでしょうか?
それは神道の根底にある考えから想像することができます。
神道では、皆が楽しく健やかに過ごすことこそが『生霊』(むすひ)といわれる最高の境地であるとされています。これは、今でいう『結び』の語源ともいわれています。
その為、人間同士が仲良く、楽しく過ごすための指導ができる人物が、その集落を指導する立場へと推挙されていったといわれています。つまり、繁栄をもたらすことのできるよりよい人間関係が築ける人だけが統治を許されたのです。
なので、自己中心的で己のみ裕福を貪ろうとする指導者は民衆から反感を買い、失脚してきたといわれています。これは、現代の日本でも言えることです。つまり、現代の社会でも古くから伝わる神道の考えは生きているのです。
故に、『どのようにすれば民衆の支持を得られるか』を考えなければ、指導者としての地位は保てなかったのが古代日本の社会です。それ故に、決められた『戒律』などを持たず、流動的に時代に合わせた考え方をしてきたのが『神道』なのです。
今では、(結婚式などで、しきたりがある)神社が多いですが、それも現代の日本を指し示している為だといえます。つまり、今の日本は法治国家です。法が全てなので、神道の考え方から、時代に合わせていくと『法』ともいえる『しきたり』や『順序』、『形式』を重んじるようになったのは間違ったことではないというのがわかります。
では、話を古代に戻しますが、本来の神道とはどんなものでしょうか?
先に述べたように、皆が幸福であることこそが『生霊』(むすひ)といわれる最高の境地であるとされています。古代日本での幸福な暮らしとはいかなるものでしょうか?
それは、自然の恵み溢れる暮らしだったといいます。その為、崇め奉る対象は自然だったのです。つまり、神道の本質は『自然崇拝』であるわけです。
一文で表すならば、『自然の恵みに感謝して、自分が住まう土地にあつまる多くの霊(神)をもてなし奉る』ことこそが神道なのです。なので、多くの霊(神)を一度に祭るという、結構あいまいな形なのです。その為に、神道は一神教ではなく多神教の形式なのです。
というわけで、今回はここまで。
神道の本質を語りました。次回は神道と日本語の繋がりから書いていきます。
以上w
フンダルとまみれと大殿と
9 年前
自然崇拝から格式・しきたりへの変遷か・・・なるほどねぇ
返信削除欧米の宗教のそれとは、根本的に違うね
日本の風土に馴染まなかったのが、理解できる
それにしても、砕さん、文章、まとめるの、うまいねw
桜子様>
返信削除そんなことはないですね~。
どっちかというと文章力ないほうですからw
ぬー、アニミズム的なところを強調してるのね。
返信削除それならばその1で五行説発祥の地である中国的なところを否定するのはどうかと思うんだけどなぁ。
せんせー>
返信削除特に否定はしてないですよーw
単に靖国神社へ参拝するということが、どういうことか理解していないで批判する国がキライなだけw