2009年8月3日月曜日

知ってるようで知らない神道、その12

おはようございます、s.a.iです。

花火がドンドン、うちの犬はワンワン、夜はホント五月蝿い日々ですw

さて本題w
今日は、尊王攘夷と国学について書きます。

尊王攘夷とか神道と関係ないじゃんw
とか思う人は多いことでしょう。
ですが、江戸時代に入ってからの朱子学、国学の流れを見ると、次第にその様相が見えてきます。では、まず朱子学についてから書きます。

朱子学(しゅしがく)とは、南宋の朱熹によって再構築された儒教の新しい学問体系のことです。儒教は皆さんが知っている通り、孔子によって説かれた思想、信仰のことですが、朱子学は、この思想をいろいろとわかりにくくしたもの(というか僕は理解できなかった…)という感じです。

日本に伝わったのは、一般的には正治元年(1199年)に入宋した真言宗の僧、俊芿が日本へ持ち帰ったのが日本伝来の最初とされてますが、異説も多く明確ではありません。鎌倉時代後期までには、五山を中心として学僧たちの基礎教養として広まり、正安元年(1299年)に来日した元の僧、一山一寧がもたらした注釈によって学理を完成したと言われています。
その後、時代を経て、江戸時代に入ると、林羅山によって「上下定分の理」やその名分論が武家政治の基礎理念として再興され、江戸幕府の正学とされています。

しかし、そんな朱子学に反発する形で国学というものが興ります。この国学は、中国の思想に影響を受ける前の日本古来のまっすぐな心を重んじるべきだとする考えの上に立つ学問です。和学・皇朝学・古学などの呼び方もあります。
国学とは、儒教思想などの、人間本来のもつ感情、精神を押し殺して理を重んじる思想を否定し、ありのままの感情の表現を評価する思想です。
多くの国学者は、中国の「論語」などの儒教古典ではなく、「日本書紀」「古事記」などの日本古典を研究していました。
十八世紀末に大成した本居宣長は、次の様な主張をしています。
「儒教は『忠』や『孝』などの形式的な道徳観念で人の心を縛るが、我々(日本人)は生まれながらに持っているまっすぐな心の命じるままに生きるべきだ」
そして彼は、仏教、道教、儒教などが織り交ぜられた神道ではなく、古代からのありのままの神道こそ、日本人が重んじるべき神道であると説いています。

この儒教を排除して、本来の神道を…という思想を更に確立したのが、平田篤胤であり、『復古神道』と呼ばれています。後に彼は、『日本本源論(日本は万国のあらゆる事において最も優れた国であるという主張論)』と『皇国尊厳論(天皇を最高の存在とする論)』を出します。
これによって、前者は『攘夷論』、後者は『尊王論』へと発展するのです。

この理論が遂には江戸幕府を倒し、明治維新へと導く『尊王攘夷派』を多く輩出した事は事実であり、近代日本の礎になった事は言うまでもない。ただ、外国文化、思想の全てを排除しようとする思想は極論すぎたわけで、明治維新後の明治政府はもっと外国文化を公平に評価する事で上手に付き合ってきたといえます。

4 件のコメント:

  1. 流石に、本居宣長や平田篤胤は、知ってたなw
    ただ、尊皇攘夷に繋がっていくというのは、考えが及ばなかったけれどね・・・・

    ダンナさま、もう少しですな、がんばって~♪

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  2. オクサマ>
    さぁ終盤戦突入ですw
    遂に来ました、近代史!

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  3. まぁ、プチルネッサンスが過激派になったって感じだね。まぁ、世の中平和だといろんなこと考える人が出てきて、治める側の人にとってはいい迷惑だよなぁって思っちゃうのは、今も昔も変わらないところwww?

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  4. 先生>
    ですなw
    歴史は繰り返されるんですよw

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