2009年8月13日木曜日

知ってるようで知らない神道、その18

おはようございます、s.a.iです。

お盆です。
ちゃんとお迎えをしてご先祖様に感謝をしなくちゃですw


さて本題
今日は、先祖供養とお墓についてです。
古代から、亡くなった人は神様になるという祖霊信仰はすべてのものを神としてとらえる古代からの思想によるものです。
その為、祖霊を祀る祭りも祖霊供養の一つといえます。
神道を信仰する家において、先祖の位牌を家の中に置いた御霊舎(みたまや)を祀っています。これは、亡くなった親族が、亡くなった後に神様になり自分達を守ってくれるという考えの下で行うことであり、祀ることで亡くなった後も身近にいてくれるという思いから、親族の死を悲しまずに済むという思いが込められています。また、いつも守ってくれているんだという思いから、元気付けられるのです。

死んだ人は神様になるという思想。それは、全ての死者に適用されます。たとえそれが大罪人であろうと不慮の事故による死者であろうと分け隔てることなく同じ扱いをうけることができます。多くの宗教において、自殺が最も罪深いとしている節があります。しかし、神道においてそういう思想はありません。それは、以前話した『穢れ』と『祓い』の考えにも繋がるのですが人は元々清い心を持っていて、穢れた為に罪を犯してしまうという考えから、罪自体は悪いこととしても、犯した人には恨みなどないというのが神道なのです。
仏教において、1周忌、3回忌…などという供養があるが、これも元々神道における考えです。神道において、式年祭という祭りを行います。これを、1年祭、3年祭、5年祭…といいます。神道においても、仏教においても、先祖を供養するという考え方は、古代から続く日本人の思いからくるものだと思います。

古代から、日本人はお墓を山のふもとに作る傾向にありました。現在でも古い墓地は山にあることが多いです。これは、墓所が神の世界の入口に過ぎず、おりを見て先祖は集落に降りてきてくれる。それには神が住む山に近い方が都合がいいという考えに基づきます。
ところが、江戸時代に入り、墓地の運営を寺院に取り仕切らせることにより、墓地が寺院の傍に造られるようになった。これにより墓地が山から切り離されることになったといいます。

先祖を敬い、祀るという行為は古くなら続く大切な行いです。めんどくさいなどと言わず、行ける人はちゃんと行きましょう。その行いは必ず先祖を癒すことに繋がり、しいては己の心も癒すことになると僕は思っています。

2 件のコメント:

  1. 混同しそうだな・・・・お墓っていう概念は、寺そのものだったから・・・・
    そんなに、神道と密接に絡んでいるとは、知らなかった
    実家のお盆は、新暦でやるので、旧盆は、ダンナさんのお世話で明け暮れしますw

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  2. 桜子様>
    先祖供養は、仏教でも神道でも同じ思い。
    大切に思う心に宗教の違いは関係ないですねw

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