2009年8月14日金曜日

知ってるようで知らない神道、その19

こんにちは、s.a.iです

さてこの連載の真の目的である靖国神社について、やっと書く事ができます。
ここまで長かった…w
では行きましょう!

靖国神社
東京都千代田区九段北にある神社です。
元々は、東京招魂社と呼ばれる鎮魂社であり、明治2年6月29日に戊辰戦争での戦死者を慰霊するため、大村益次郎の献策により創建された社です。
もともと招魂社は、 文久二年(1862)の討幕運動で非命の最期をとげた尊皇の志士を京都東山の霊山に祀り、翌年、八坂神社境内に小祠を建立したのが始まりです。討幕派諸藩でも招魂慰霊が多くされて、日本各地にこういった招魂社は存在します。
その中で一番大きいのがこの靖国神社の前身である東京招魂社です。その後、明治12年6月、その年の2年前の西南戦争で爆発した新政府への不満を和らげ、七千人近い政府軍の戦死者を祀り、合わせて国家への忠誠心を堅めさせるには「魂を招く社」では不十分として、「国を靖(やす)める社」にかえ、東京招魂社は別格官幣社靖国神社となりました。
この時より、国を興す為に散っていった崇高な魂を祀り慰霊する社から、国家への忠誠の象徴ともいえる存在へと意味合いを変化させました。

この当時は政府の力よりも軍部の力の方が強く、忠誠心の強い兵士を必要としていた為に利用されたのが、『国家神道』と呼ばれる神道を曲解したものです。(と僕は認識してます)
それ以降、戦争による戦没者を合祀していくことで戦争中、特攻する時などの言葉の掛け合いなどに、靖国で会おうなどと残すようになります。こうして国に忠誠を示す象徴的なものになった神社は単なる戦没者の慰霊碑、慰霊社ではなくなってしまうのです。

こんな感じで戦没者を祀る神社となった招魂社ですが、大元の考えは古代から続く神道の考えに基づくものです。精霊信仰、祖霊信仰を大元とする神道において、どんな人であっても亡くなった後は祀られるもの。たとえそれがA級戦犯者として、後世にまで言われてしまうような人であっても心は清いものであるという考えからくるものが神道です。
集落単位でいうと、亡くなった後に祀られたものは大国主命となりますし、1家族単位でいえば、亡くなった親族は家を守ってくれる存在になります。
これと同様に、単位が大きくなったもの。それが靖国神社だと考えます。集落、家族の為に生き亡くなった人を祀るのと同じく、国の為に生き、そして亡くなった人を祀る。そうすることで亡くなった人たちによって国は守ってもらえる。だからこそ、生きている僕らが祀り、拝み、将来の心の支えとする。それが靖国神社の役割です。

終戦日である明日、多くの政治家をはじめとする著名人達が挙って参拝しに行くことでしょう。ですが彼らに本当の参拝の意味を知るものはどれだけいるのでしょう?
日本を守る祖霊達に顔向けできる人がどれだけいるのだろう?
自分達の利権しか考えられず、国そのものを顧みない政治家、天下り大好きな官僚達に祀られて、祖霊達はどう思うのだろうか…。彼らにはもっと禊をしてもらいたい。言葉の上の禊ではなく、心から禊をして、穢れた考えを除き、本当に国に尽くしてほしいものです。

そうすれば、なぜ靖国神社へ参拝する必要があるのか…。靖国神社への参拝にどんな意味があるのか…。そういった事もちゃんと説明できるようになるのではないかと思います。各国が非とする靖国参拝もはっきりと答えられるようになれば納得できるはずです。
単なる内政不安を解消する為だけに反日感情を煽るような事に利用する国や利益を得たいがために弱みを掴んだと勘違いしていつまでも強請ってくる国などは、自分の行いの醜さに気付くべきであると考えます。
ま、どこの国とはいいませんけどねw

2 件のコメント:

  1. 根本的な神道の考えを理解しろと言っても
    歴史的な背景や日本が戦敗国であるという事実は
    実際動かしがたく、とかく、物議を醸してばかりいる
    近隣国には、無理がある気がします
    日本国民でさえ、靖国を特殊視して
    他の神社仏閣とは、別のものと考えているのですから
    難しい問題なんでしょうね

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  2. 無理があると言って諦めては先には進めません。解決できるまで諦めずに姿勢を通す。そうすればなぜ行うのか、それを考えるようになるはずだと思ってます。物事の本質、それを見失うことさえせずに貫けば、どんな事でも通るものだと、僕は考えます。
    また、誰かがこういう事を発しなければ、濁流に飲み込まれまがった方向へと進んでしまいます。人は間違った情報でも周りが『うん』と言ってしまえば信じがちだから、一人でも多く正しく知っていてほしい。これがその一つになれば幸いだと思います。

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