2009年11月5日木曜日

好きな戦国武将BEST9

こんばんは、s.a.iです。


さてさて、シリーズ2回目ですw
今日はBEST9です。
それでは行ってみよう!


ちなみに、何度も言うようですが、僕基準なので、『そんなアフォなwww』とか言わないようにw
ではGO!


里見義堯
1507~1574
刑部少輔、里見義通の弟・里見実堯(安房滝田城主)の子


当時の安房を治めていた里見家当主は里見義豊であった。その配下であった里見実堯は家臣でありながらも、その勢力を拡大させていた。その勢力拡大を恐れた義豊は、これを謀殺。
実堯の後を義堯が継ぐことになる。
翌年、相模の実力者・北条氏綱の力を借りて、義堯は義豊を攻め滅ぼす。もちろん大義名分がなければ誰も義堯には付いてこない事は解っていたので、義堯は、『父(実堯)は伯父(兄・義道)の命に従い義豊殿を支援、その下で里見家の版図拡大を手伝っていたにも関わらず、これを謀殺するとは、恩を仇で返したようなものだ』という筋書きを立て、主家滅亡を正当化。最終的に安房里見家の実権を全て掌中に収めたのであった。
その後、上総、下総にまで勢力を拡大させるなど、里見家最大の版図を築くに至る中興の祖である。
しかし義堯のすごい処はそれだけではなく、主家転覆の際に手を借りた北条家とはその後縁を切り勢力拡大戦を仕掛けるなど、意外とアグレッシブな大名であること。また、1566年には上総三船山の戦いにおいて、北条氏康の軍を打ち破っていることなど、なかなかに勇猛果敢な大名であることである。


義堯の軍が得意とした戦法は水軍を用いた戦法である。海上よりの攻撃で敵軍が弱るまでとことん攻撃し、弱体化した後に上陸、陸上を進軍する軍隊と合流し撃退するというものである。この戦い方で、上総、下総はもちろん、伊豆、相模にまで攻撃を加えるのだから、かなり攻撃的な軍といえよう。
この事を、里見家と交流のあった安房妙本寺の住職・日我は『義堯こそは関東無双の大将である』とまで称賛している。


関東において、北条家といえば誰もが知るほどの有名大名です。ですが、この北条家ですら里見義堯には苦戦を強いられていたというのだから、まさに『関東無双』も伊達じゃないんでしょうw

ってことで、今回はここまで
ではまたw

2 件のコメント:

  1. 尼さんと駆け落ちするのは息子だっけ?

    まぁ、八犬伝のイメージが強すぎて、実在の武将がよーわからんお家ですなぁ。さすがに八房のような犬の家臣はいないですが、近くに三楽斎って犬を戦争に使ったのもいたので、関係あるのかな?
    つか、正直、里見って
    どの代でも家臣や家族と仲が悪くて、
    内輪もめで自滅したイメージがwww

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  2. 先生>
    南総里見八犬伝は、里見義堯の父、実堯の父(祖父?)とされている里見義実の安房入国伝説を元にした物語。なので、時代的には一昔前って事になるのかな?
    1440年に起きた結城合戦で結城側に立って戦い、父親と共に落ち延びた義実が安房に入国するところから始まりますねw
    最終的に、義堯>義弘>義頼>義康>忠義と来た時に改易されてしまい断絶するんだけどね。
    一応その後、他家へ仕えて明治維新まで残ったと記録されてるから、今でも子孫はいるんじゃないかな?

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