2009年11月7日土曜日

好きな戦国武将BEST8

こんにちは、s.a.iですw

さてシリーズも3回目w
マイナーな武将ばっかが好きなわけじゃないとここで言い訳しておこう!
って訳で、サクサク行ってみようかw
第8位ですw


足利義輝
1536~1564
左馬頭、左近衛中将、足利幕府第13代将軍

足利義輝は、第12代将軍足利義晴の長男として生まれたが、生誕場所は室町御所ではなく、近江だったと記録されている。父義晴は、細川家の内紛に翻弄され、畿内諸国を放浪する身であったという。1546年、畿内の紛争に嫌気が差した義晴は、幼かった義輝に将軍職をさっさと譲ってしまう。しかし、就任直後に、畿内最大勢力の三好長慶に京を追われ、父と共に近江へと逃げるのである。
父義晴は、この近江の地にて病没してしまい、室町御所へと戻ることは敵わなかったという。

義輝にとって、畿内の紛争の度に室町御所を追われることは屈辱以外の何物でもなかった事でしょう。その為、御所への凱旋、幕府権威の復権を強く誓ったという。
畿内へと戻った義輝は、三好長慶、細川晴元、六角義賢らが争っていた事を利用し、各勢力を味方にしてうまく京を奪還していた。
しかし、畿内にまとまった直轄地を持たなかった将軍家にとって他大名の力を借りた政権は長く持たなかった。武家にとって、その力を示すものは、やはり武力(軍隊)である。直接的に動かすことのできる軍隊を持たなかった為、将軍家としての権威を回復するには至らなかったのである。
この状況は室町幕府設立当時から危惧されていた事であった。というのも、足利幕府設立時の初代将軍足利尊氏が所有していた所領は関東である。それなのに幕府を京においた時点で室町幕府はぜい弱なものでしかなかったのである。しかも、その関東の所領でさえ、関東動乱の最中、将軍家の手を離れてしまい、事実上将軍家の領地はなくなってしまう。足利幕府絶頂期だった義満の頃でさえ、諸国の大名の力を借りた政権だったのである。

そんな中でも、義輝は気丈に、そして武家の棟梁あらんと剣術を学ぶ。故に『剣聖将軍』などと呼ばれることもあったという。師匠は、塚原卜伝。流派は新当流。兄弟弟子には、諸岡一羽や真壁氏幹、斎藤伝鬼坊などの剣豪もいる他、北畠具教、細川幽斎、今川氏真、上泉信綱などの武将もいる。
個人技だけで言えば、天下無双の将軍であったといえよう。ですが、軍隊を持たなかった為に、最後は松永久秀や三好三人衆によって殺害されてしまい、足利幕府は、第14代将軍足利義栄を経て、最後の将軍、弟・足利義昭へと継がれていくのである・・・。

滅びゆく幕府であったとはいえ、その権威の回復に生涯を費やした義輝。復興の為ならと偏諱(自分の名前の一字を与える事)を惜しみなく使うなど、目的の為ならばどんな手段でも使うという心意気がとても好きです。目的がブレてないトップ。どんな事をしてでも成し遂げようとする精神力に尊敬の念を抱きます。

ってことで今回はここまでw
ではまたw

8 件のコメント:

  1. 室町幕府って、8代以降は、形骸化した感覚がありますね
    日野富子が遠因を作ったとされる戦乱が、やがて、下克上を繰り返して、幾多の名将を生んでいく・・・・
    そんな時代の最中の将軍、悲哀を感じます

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  2. 桜子様>
    この将軍、本人はめちゃめちゃ強かったらしいんですよね。なんてったって『新当流』の免許皆伝の腕前で、奥義『一の太刀』まで授けられた程なのでw
    だから、体力が無尽蔵にあったのなら(そう、戦国無双並にwww)きっと一人で、松永、三好軍ぶちのめしてたんだろうなぁw
    なんて無茶なことを考えるわたくしですwww

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  3. 室町幕府は細川や斯波が支えてたって意味では初代から形骸化してたとも言えなくはないですが、舟岡山(字あってるっけ?)合戦以降、細川家が弱体化してからは将軍職自体の意義がほとんどなくなってしまったかもですねー。。。勝手に二人名乗ってたりとかwww
    おそらくは後付だと思うんですがねー。剣客家の話はw 鳩山が宇宙人だったって同じくらいのレベルかもwww って厳しいことを言ってみるw

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  4. 先生>
    剣客だったってのが後付けの可能性はアリかもですねーw
    ただ、そうでもないと武家の棟梁であるという誇りを保てなかったのかもしれないですね。なんたって軍隊らしい軍隊を持ってなかったわけですし。
    他の大名に対して力(軍力)で敵わなかった分、上の立場に立てる何かを求める事は当然の行動ではないかと考えます。
    義輝に限らず、義昭にしても、なんとかして信長よりも上の立場であると固辞しようとしてたのだから。

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  5. 武家の棟梁としての誇り・・・・そうなのかなぁ・・・
    足利将軍家って、武家って感じより、貴族的な匂いが強くないですか?(平安期の平氏とは、ちょっと違うニュアンスだけど・・・)
    信長は、今の時代でこそ、ヒーロー的な扱いだけど、所詮陪臣出身・・・・格が違うっていう意味での虚勢に感じますけどねぇ・・・・
    プライドばっかり高くて、その実、実力も無いって、虚勢以外の何物でもないんじゃないでしょうか?

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  6. 桜子様>
    足利家がどうしても公家の様なニュアンスが抜けきらないのは、きっとメディアのせいだと思います。どんなドラマにおいても足利家は同様に公家ちっくに描かれていたからでしょう。そう描くことで、当時の武家(信長など)の殆どとは違う、名前に囚われた哀れな存在として認識してしまったと言えます。
    没落寸前、倒壊目前の幕府であっても、幕府である以上は武家なのですよ。その認識は間違ってはいけません。

    また、どんなに頑張っても虚勢を張っていたに過ぎないのはその通りだと思います。明らかに力がなかったのですから。でも、それでも、幕府の立て直しに必死に奮闘していた姿は、僕には、信長や秀吉、家康といった武将よりも魅力を感じるのです。

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  7. 室町幕府の成り立ちは南北朝の分裂と関わるからねー。鎌倉幕府や江戸幕府が朝廷と一定の距離を置いたのに対し、室町はべったりだったから否応なしに公家文化が入ってくる。。。
    義満なんて天皇にまでなろうとしてたんだしw

    結局権力と実力のかい離が応仁の乱のグダグダの原因にもなったし、戦国時代が本当の無法者の時代にならずに済んだ抑止力にもなった(官位や高家など)のは皮肉なんだけどねー。。。

    義輝も権力者としての適当な人に薫陶を受けていれば、
    もう少し違った展開が見えたかもねー。。。

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  8. 先生>
    そうだね~。
    細川、三好、松永などに関わらずもっと外の世界から変えようとしてたらもっと違ってたかもしれないですね~。
    信長の野望でも、なぜか義輝を選んでプレイしている私ですwww

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