2009年6月6日土曜日

ちょっとは歴史を学ぼうか

おはようございます。
連続で書いてます、s.a.iです。

しずちゃの所で書かれてたので、ちこっと書いてみようかと…。

皆さん、豊臣秀次という人物をご存じで…?
そうです、先の関白豊臣秀吉の後を継ぎ関白となった御仁です。

世の風評としては、
1、叔父(秀吉)の七光で太っ腹w
2、かなりの乱暴者
3、なのに、なぜか戦下手
4、大好きなのは、酒池肉林


とまぁ、聞く限りでは、めっさダメ人間。典型的な『金ばっかもってるだけの世間知らずなボンボン』って感じですねwww
しかし、実際に歴史史書などから読み取れる人物像はちょっと違います。

1、太っ腹というより、資金難な大名の支援をしていた
2、乱暴者というよりも、かなりの武芸者(剣術、槍術、弓術、馬術共に優れていた)
3、敗戦は一度きりで、それ以外は常勝
4、妻妾は、他の大名に比べて少ない方

全く違いますね。

では、なぜこんなにも違う風評が立ったか…
それは、これひとつに集約されると思います
『秀次事件』
これはどんな事件かというと、関白職を譲られた秀次ではあったが、発言力の強さは秀吉が上。いわゆる院政が行われていた上に、秀吉に子供(豊臣秀頼)が出来たことで、関白職を秀頼に継がせようという秀吉が、秀次に対して、冷遇するようになったことで、秀吉を廃して自分の権力を確固たるものにしようとした(秀吉を暗殺しようとした)秀次を未然に察知した秀吉により、逆に一族郎党皆処罰された事件のことであります。

この事件により、秀吉は秀次一派のすべてを粛清することになります。しかし、先に申した通り、人物的に不良でもない秀次を(関係者すべて)処罰するなんて、世間的に示しが付きません。そこで、秀吉が考えたことは、簡単。秀次が悪いやつであるとすることです。そうすれば、『あぁ、あの人なら仕方ないよね…』となり、秀吉は仕方なく処罰したって結果になるわけです。
そのため、人物像が歪められて伝わっているわけです。

トップに立つ者としては、組織を纏める為に、一部を犠牲にすることは、間違いではありません。実際に、現在の日本でも同様のことが起きていますし。(所謂企業のリストラなどですね)
ですが、それによって非業の死を迎える側にもなってもらいたい。(リストラについてもだが)
死を迎えなければ、もしかしたら多くの活躍があったかも知れない。(リストラでいえば、しなければ会社の為になったであろう…ということかな)
そう思うと、とても残念で仕方ありません。また、それを正当化する為に真実を歪めて、後世に伝えるなどあってはならないと思います。(とはいえ、そうしないと統治できなかったのも確かですが…)
まぁ、そんな中で、いろいろと模索し、考察し、推論を確信に繋げるのが、歴史家の醍醐味でもあるのですが…。

まぁ、なんというか…
秀次事件について殆ど書けてない気がするけど、
機会があったら、今度掘り下げて書いてみますw

なんだか話がまとまってないですけど、歴史は深いってことです
実際、学校で習っているような事は、卵の表面を撫でているようなもの。
一行一文では語りつくせない様なことがその背景にはあります。
そういったことを踏まえて、歴史の授業は受けましょうw
きっと違った目線で見てみれば、より面白いと思えるようになると思いますよw



あぁ、オチがねぇ…
ってか、文章力ないなぁ…僕…

2 件のコメント:

  1. 下の方の評価も「豊臣政権」を貶めるための「徳川政権」がかけたバイアスであることも加味しないとねぇ。
    真実なんて人が決めるものである以上どこにもなかったりするのが、歴史の難しいところなのかもねw

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  2. 先生>そうそう、そこが難しいところ
    ってか、書く内容が濃すぎて途中で書くのがめんどくさくなってきたのは内緒w

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